地域の概要

(1)地域の沿革

「額部」の地名は、遠く10世紀初頭に記された『和名抄』にも所載され、古い歴史を有している。額部はヌカベまたはヌカタベとも読まれ、その発生については不明であるが、平城宮址の発掘出土の木簡にも額田部の文字が確認されている。

中世における文献資料はあまり見られないが、仏教信仰のモニュメントである板碑や五輪塔も数多く残り、今は廃寺となっているが寺院の存在も各地に確認できる。特に、石造地蔵尊の発見例から見て、地蔵信仰は鎌倉期において当地域に導入されたと見られ、この信仰は甘楽・富岡では最古のものと認められる。これらは、宗教活動がいかに活発であったかを物語るものである。

江戸期には、岡本村、後箇村、岩染村、野上村が成立し、それぞれ大名領・旗本領として支配されていた。明治17年後箇村において、当地方最初の甘楽第一キリスト教会の設立があり、地域内に多くの受洗者が生まれている。また同じ頃、後箇村以西は廃仏運動等によって、神葬祭が新たにおこっている。

このように、当地域は文化・宗教面において進取の気運が強く、産業経済面にもその特性がうかがえる。このような歴史の発展の中で、明治以降続いた額部村は、昭和29年富岡市に合併し今日に至っている。

校舎からの眺め

 

(2)    地域・学校の環境

本校がある額部地域は、富岡市では最も南に位置する地域である。地形は、西から南にかけて稲含山へ続く尾根やその支脈からなる山地になっている。中央部から東側は、甘楽・富岡地域を西から東に流れる鏑川による河岸段丘南の上位段丘面になっている。地域の産業は以前より農業が中心で、農家戸数、耕地面積も市内の他地域に比して多かった。しかし、現在は専業農家が少なくなり、第二次および第三次産業従事者が増加している。農産物は野上および岩染地区はシイタケ・コンニャク栽培が主であるが、南後箇、岡本地域は稲作の他、流通の利便性を生かした首都圏へ出荷する野菜や花卉の生産も増えており、畜産農家も見られる。

 

(3) 児童数の変遷